私は、凸凹、偏りのある人だと思っています。
人はきっと、誰でも持っているのではないでしょうか。
目には見えないけれど、出会った瞬間に働くセンサーを。
この人とは合いそうか、どこまで近づいていいか。
頭で考える前に、ビビビ、と身体のどこかが反応する感覚です。
私の場合、それが「凸凹センサー」です。
話しながら、相手が私と近しい人なのか、
それともそうではないのかを、無意識のうちに探ってしまいます。
相手からすれば、いい迷惑かもしれません。
そう思うこともありますが、このセンサーは勝手に作動してしまいます。
私はずっと、自分に偏りがあるという自覚を抱えて生きてきました。
一歩外に出ると、どこか緊張してしまいます。
社会で生きるということは、私にとって、
地雷原を慎重に歩くような感覚です。
周りにも偏りのある人が多く、
自分にも同じような凸凹がありました。
だから、生き抜くために、
「自分と同じか、そうじゃないか」を感じ取り、
距離を測る必要があったのだと思います。
そうしているうちに、
私の中に「凸凹センサー」は自然と育っていきました。
それは、誰かを選別するためというより、
傷つかないための、小さな防具のようなものだったのかもしれません。
このセンサーが反応して、
「ここなら大丈夫」と感じられる人や場所に出会えたとき、
胸の奥が、ふっとゆるみます。
ささやかで深い幸せを感じます。
そこには静かで、温かな安心があります。
この感覚は、たぶん、経験の積み重ねでできた直感です。
表情や目の動き、話し方、身体の使い方。
放たれる空気、服装や持ちもの、行動の癖。
そうした細かなものを、私はずっと見てきたのだと思います。
以前、長年薬局で働いている医療事務の方が、
「患者さんが入ってくる姿を見ただけで、
処方せんを見る前から、だいたい何の病気かわかるんです」
と話してくれたことがありました。
しかも、それはよく当たるのだそうです。
それを聞いたとき、
私の凸凹センサーも、きっと同じなのだと思いました。
特別な力ではなく、
生きる中で身についた、静かな感覚です。
私の凸凹センサーは、
世界を遠ざけるためのものではなく、
安心できる場所へ、そっと導いてくれるものです。
今日も私は、
その小さなセンサーを頼りに、
ゆっくりと、人の中を歩いています。
それでも相変わらず失敗ばかりのへっぽこですが。。。。

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